38歳から教え始め、先生だけでお稽古する有志の会に入りました。一番年齢の近い人でも10歳近く年上で、最年長の先生は親よりも年上でした。
会には、何をしても厳しく言い、挨拶しても無視するような方々もいて、毎月1回だけの会でしたが、その日は朝起きても嫌、着物に着替えても嫌、稽古場の玄関に立っても嫌。嫌々ながらお稽古に行ってました。
若い子のお点前には味がない、と言われ
会には、厳しく言う方々もいましたが、それとなく庇ってくれる先生もいらっしゃいました。ある時、難しいお点前を間違わずにできたとき、最年長の先生は「よくお稽古してきましたね」と声を掛けてくださいましたが、厳しく言う方々は「いえいえ、若い子のお点前には味がないですね」、「そうです、間違わずにできればいいってもんじゃありませんよ」とおっしゃいました。
顔を上げて
畳だけを見て お点前をするのが普通になっていましたが、ある時、私が点てた薄茶を最年長の先生が飲んでくださることがありました。一口飲まれて「あぁ、美味しい。美味しいお茶ですね」と独り言のようにおっしゃいました。
その時のお茶が本当に美味しかったかどうかはわかりません。でも、その時から、私は顔を上げてお点前ができるようになりました。
今でも、私は美味しいお茶を点ててさしあげたいから、お点前をしているのだと、先生の声とともに思い起こします。
NishiTakeさん、コメントありがとうございます。
普段から自分のためにお茶を点てていらっしゃるのは、なかなか真似のできることではないと思います。
私も気に入ったように点てられることは少ないですし、お客様に差し上げる時は力が入ってしまうことがあります。そういう自分を認識することも、お茶のお稽古なのかな、と思っています。
いつかNishiTakeさんにお茶を差し上げたいですし、NishiTakeさんのお茶をいただきたいです。
私は、今のところ自分でお茶を点て、自分で飲む。ということを繰り返してます。
手順や作法などは関係ありません。
結局のところ、一番最初に点てたお茶を越えるお茶を点てられていません。何気なく点てたお茶が、一番おいしかった。
おいしいお茶を点てようとすればするほど、掛け離れて行く…。なかなか自然体で物事を全う出来ないようです。
私の場合は、自分が納得すれば良いだけなのに、それすら出来ません。